谷が開くのは、一年に一度だけ
僕の暮らす静岡の海辺から、安倍川をさかのぼる。川沿いの県道が細くなり、対向車とすれ違うたびに肩をすくめる。そんな山道を二時間半ほど登ると、南アルプスの山懐に抱かれた小さな集落にたどり着く。
静岡市最北部、井川地区・田代(たしろ)。同じ静岡市でありながら、静岡駅からは車でも公共交通でもゆうに半日仕事の距離にある。静岡は東西に長いと言われるが、実は北に向かう道も山深く遠い。あまりに遠い。
集落を見下ろす小さな山の中腹に、諏訪神社が静かに鎮座している。信濃国・諏訪大社を勧請して鎌倉時代に創建されたと伝わる古社だ。地元では「お諏訪さん」と呼ばれて親しまれ、この地域の背負神(しょいがみ)として、古くから信仰を集めてきた。
井川にはこれまで何度も足を運んできた。南アルプスへの登山口として。あるいは大井川源流の豊かな自然を訪ねて、竿を振りに。それでも僕は、この土地で長く受け継がれてきた「ヤマメ祭」の存在を知らなかった。
教えてくれたのは、2016年に発刊された雑誌『RIVER-WALK』の記事だった。神事としてヤマメを釣る人々の姿が紹介され、そこに「釣りの話は、釣りだけではない。」という一節が添えられていた。その言葉が、ずっと心に残っていた。
調べてみると、祭りは今も変わらず続いていた。祭りは、宵祭(よいまつり)と、翌日の本祭の二日にわたる。そしてその六日前に、前段の神事にあたる「魚釣り祭」が行われる。年に一度、この日だけ、禁漁の谷が開く。その釣りから、本祭のあとの直会(なおらい)まで。この一連の流れ全体が「ヤマメ祭」と呼ばれている。
諏訪神社の宮司に連絡を取り、取材をお願いした。快く迎え入れていただき、僕は数年前に誌面で見た場所へ、カメラマンの鈴木利岳くんと向かうことになった。
二組に分かれて、谷に入る
僕たちがまず訪れたのは、例祭の六日前に行われる「魚釣り祭」だった。普段は禁漁とされている神聖な谷、明神谷(みょうじんだに)。入渓は二組に分かれる。ひと組は「上流組」。体力に自信のある数人が、不動の滝を越え、谷の最上流部を目指す。目的は、神事に必要な五十匹のヤマメを釣ることだ。夕暮れまで竿を振り、その夜は山中で一夜を過ごす。翌朝、釣り上げたヤマメを背負って谷を下りてくる。
もうひと組は、下流から釣り上がりながら祭事の準備を担う「準備組」。目指すのは「カヤゴヤ」と呼ばれる祭事場だ。乾燥させた藤蔓を裂き、数本を撚り合わせて縄を綯う。谷に落ちている木を組み上げ、神座を設える。金物も、既製の紐も使わない。山にあるものだけで、神を迎える場所を整えていく。
やがて魚が届くと、喉元を傷つけないよう慎重に腹を開き、血合いを指先で丁寧に取り除く。肝と黄金色の卵は味噌と和え、塩辛に仕立てる。それらは神前に供える神饌(しんせん)となる。
同行の利岳くんも熱心なフライフィッシャーだ。ファインダーを覗きながら、「釣り場というより、山そのものが神聖な祭場だった」と振り返る。正午が近づくころ、沢の上流から人の声が聞こえてきた。全身ずぶ濡れになった上流組が、ヤマメを携えて谷へ戻ってきた。
一人が冠をいただき、装束をまとう。神座には、ヤマメ、酒、そして釣竿が供えられる。谷に古くから伝わる祝詞が響く。その頃、もう一人の宮司は明神谷を望む場所で遥拝を行い、谷そのものへ祈りを捧げているという。
供物の中に、釣竿がある。魚だけでなく、魚を獲るための道具までが神前に並ぶ。その光景を前にして、これは「魚を釣る祭り」ではなく、「釣りという営みそのものを神へ捧げる祭り」なのだと感じた。
稲のない土地の、鮨
神事を終えたヤマメは、その日のうちに諏訪神社へ運ばれる。一本一本丁寧に下処理され、塩を施され、調製の日まで寝かされる。並行して、もう一方の主役が用意される。粟だ。
井川は、稲作の難しい土地だった。急峻な斜面と、冷涼な気候。かつてこの一帯では焼畑が大規模に営まれ、雑穀が山の暮らしを支えてきた。ショウガビエ、ケビエ、ネコアシ、コウボウキビ、ホモロコシ。今も集落の畑には、聞き慣れない名前の在来種が十種類ほど残っている。正月の粟餅「カミノモチ」、コウボウキビの焼き餅。米を主食としない農耕の記憶が、この山里にはまだ生きている。
そして生業としての焼畑が途絶えた今も、伝統行事や独自の食文化を守るため粟は焼畑で作られ続けている。春に山へ火を入れ、祭りの半月ほど前に穂を刈る。祭りのために、一年をかけて火と土が回されている。
宵祭の前日。村人が総出で、ヤマメずしの調製にかかる。塩漬けにしたヤマメの腹に、粟飯(あわめし)を詰めていく。山で育てた雑穀と、源流でいただいた魚。この二つが出会って、この土地だけの「ヤマメずし」が生まれる。
それは僕たちが思い浮かべる握りずしではない。塩と時間で発酵させる熟れずし(なれずし)であり、神へ供えるための特別な食だ。鮒ずし、へしこ。日本各地になれずしは残っているが、米ではなく粟で仕込むものはほかに例がない。静岡県は指定資料のなかで、ヤマメずしを「熟れずしの祖型」と呼び、この行事を全国的に見ても例のない貴重なものだとしている。
魚を釣る人がいて、雑穀を育てる人がいて、それを受け継ぎ、祭る人々がいる。ヤマメずしは一尾の魚ではなく、この土地の暮らしそのものを包み込んだ、祭りの味だった。
祈りが受け継がれる二日間
魚釣り祭から六日が過ぎ、諏訪神社は宵祭の日を迎える。
境内には氏子たちが集まる。本殿には井川に伝わる神楽が奉納され、四年に一度は御輿渡御(みこしとぎょ)も執り行われる。日が傾くころ、ヤマメずしが酒や神饌とともに神前へ献じられる。夜には山あいに花火が上がり、音が谷に反響する。六日前、明神谷で釣り上げられた魚は、多くの人の手を経て、この日のための供え物へと姿を変えていた。
翌日が本祭。神事のあとの直会で、ヤマメずしは参列者に分けられる。山からいただいた魚が、神を経て、また人の口に戻る。ここでようやく、祭りの円環が閉じる。
豊作、豊漁、そして子孫繁栄。井川という厳しい土地で祈られてきたものは、いつの時代も具体的だ。粟が実ること。魚が獲れること。人が絶えないこと。昔の人たちは多くを望まず、生きるために人は祈った。
この地域では、井川ダム建設期の1960年前後をピークに人口は大きく減り、高齢化が進んでいる。御輿の担ぎ手は当番制で、代々、地元の男たちが受け継いできた。一年に一度だけ開かれる川と、そこで振られる竿。その営みが長い時間をかけて受け継がれてきたことに、人の営みのたくましさを感じた。
アマゴが「ヤマメ」と呼ばれる理由
ひとつ、書いておきたいことがある。
この地域で「ヤマメ」と呼ばれている魚は、生物学的にはアマゴだ。体側には朱色の斑点が並ぶ。南アルプスを源流とする大井川水系に生きる渓魚である。静岡県の文化財指定資料も、この祭りの魚を「ヤマメ(アマゴ)」と併記している。
それでも、この祭りは「ヤマメ祭」と呼ばれ続けている。
田代の諏訪神社は、信州・諏訪大社の分社と伝えられる。そしてこの土地には、信州とのつながりをうかがわせる言い伝えがいくつも残っている。社殿は三住ケ岳(大無間山)を向いているという。ヤマメを釣る明神谷の水は、その三住ケ岳の三住ケ池から流れてくるという。参道入口の御井戸(おいど)の湧き水も、同じ池の伏流水なのだという。『南アルプス学・概論』は、これらの伝承を、信州から移り住んできた先祖の歴史を象徴するものだと記している。
信州の川を泳ぐのは、ヤマメだ。
その呼び名だけが険しい山々を越えてきて、この土地に棲むアマゴへと重ねられ、今日まで受け継がれてきたのではないだろうか。
もちろん、それは僕の想像に過ぎない。けれど、人が山を越えてきたのなら、信仰も、暮らしも、言葉も、一緒に越えてきたはずだ。神様が信州から歩いてきたのなら、魚の名前が一緒に歩いてきたとしても不思議ではない。そう考えると、「ヤマメ祭」という名前そのものが、この土地の歴史を今に伝える小さな文化遺産のようにも思えてくる。
年に一度だけ開く谷。金物を使わずに組む神座。稲のない土地の鮨。そして、いない魚の名を冠した祭り。この土地の釣りは、どこを切っても釣りの外側につながっている。
やはり、釣りの話は、釣りだけではなかった。
静岡市葵区井川にある諏訪神社は、鎌倉時代の嘉禎年間(1235〜1238年)に創建されたと伝わる、長野県・諏訪大社の分社。地元では「お諏訪さん」と呼ばれ親しまれている。鳥居の左側にある「御井戸」という湧き水や、毎年8月26日、27日の「やまめ祭り(例祭)」が知られる。8月20日の魚釣り祭から27日の直会までの一連の行事は「ヤマメ祭」と呼ばれ、静岡県指定無形民俗文化財に指定されている。
〒428-0505 静岡市葵区田代855