ああ、今日も近所で魚が待っている
たまには、いつもと反対側の方向へ
たまに「反対側」に行く。比喩ではない。普段とは逆の方向の道を歩く。滅多に立ち寄らないスーパーに足を踏み入れる。知らない本屋に入る。興味のない映画を観る。利き手とは違う手でご飯を食べる。特別なことでは無く、ただ「反対側に行く」。
事実、人間の脳には「認知地図の偏り(Cognitive Map Distortion)」というものがあるらしい。脳内の地図は均等なグリッドではなく、ハブを中心に歪んで形成される。僕の住む上石神井から見れば、職場のある高田馬場は「都心への結節点」として心理的距離が圧縮されているので、すぐ隣にあるような顔をしている。一方、反対側に並ぶ駅は、物理的にいくら近かろうが、心理的にはひどく遠い。脳の地図のなかで、ぽっかりと白い空白地帯になっている。
そういえば、なにかの小説で、仕事に疲れた会社員が普段とは反対方面の列車に乗る話を読んだ覚えがある。きっと多くの会社員には、満員電車の反対側、つまり都心とは逆方向の、空席だらけの車両に揺られてみたいという密やかな願望があるのだろう。自営業の僕は出社時間こそ自由だが、気づけば都心方面の電車に乗っている。自営業もそれほど自由はない。
電車を待つホームで、ふと反対側の路線図を眺めた。所沢、小平。馴染みのある駅名のなかに、「多摩湖」という文字が紛れていた。
湖?
釣りの秘訣は、ゆーーーくり、ひくこと
家からたった数駅のところに、湖があったのか。職場に向かう電車に揺られながらGoogleで調べてみると、多摩湖は東京の貴重な水源で、その水を引いた冬期限定の管理釣り場が、西武園ゆうえんちのプールに開かれているという。その名を『多摩湖駅前フィッシングエリア』と言う。僕の認知地図に、ひとつの湖がぽつりと浮かび上がった。
数日後、釣り具を担いで反対方面の電車に乗り込むことにした。装備は最小限。ロッドだけは二本継ぎなのでそれなりに長く、存在感がある。マンションを出ると、管理人のワダさんが僕の手元に目を留めた。良い管理人とは、住人の小さな変化を見逃さない人のことである。
「釣りですか?」
「取材です」
「そうですか、お気をつけて」
いつも通り、短い挨拶を交わしてマンションを出た。つかなくていい嘘をついてしまった。なんだろう、この平日に釣りへ向かう背徳感の正体は。
平日朝の西武園ゆうえんち駅は、人気(ひとけ)がほぼなかった。案内表示を頼りに歩くうち、いつしか道は遊園地の敷地に入り込んでいた。営業していない急流すべり台は精気を欠き、プラスティックの白い椅子が一脚、風に押されたか、地面に転がっている。『ウォーキング・デッド』の撮影にそのまま使えそうな静けさのなかを、釣り竿を抱えた中年男が一人歩く。シュールな光景だ。
階段を上がるとプールサイドに出た。受付で料金を払い、ショップでルアーをいくつか買う。夏は流れるプールとして稼働するエリアが、冬は管理釣り場に姿を変える。一周およそ五百メートル、深さ一メートル、左から右へゆるい流れがある。流れのない「ザ・釣り堀」を想像していた僕は、良い意味で予想を裏切られた。手前がえさ釣り、奥がルアーとフライ。平日にもかかわらず、数人の釣り人が真顔で竿を振っている。皆、僕と同種の背徳感を抱えているに違いない。
カーブ手前の配水設備の脇に陣取り、ナイロンラインにオレンジ色のスプーンを結んで投げてみる。何投かに一度、くん、と魚が触れる感触があった。スレたか。
スタッフの男性が回ってきて「釣れますかー」と声をかけてくれる。まだですと答えると、巻く速度を見てこう言った。
「もう少しゆっくり。そうそう、ゆーーーくり。それで釣れますよ」
ゆーーーくりか。僕のはゆーっくりだ。「ー」が二つ少ない。
とびきりうまいサーモンがいるという
左斜め前にキャスト。糸のたるみを取るように、ゆーーーくりと巻く。くん、のあとにひったくるようなアタリ。ジジジとドラグが鳴り、柔らかめの竿が大きく弧を描く。糸の強度が心配だったが、竿のしなりが力を分散してくれる。深い緑色の水のなかから、鈍い銀色の魚体が浮かび上がった。良形のニジマス。
へえ、釣り堀でこんなに引くのか。
リリースしながら、僕は自分のなかの小さな偏見に気づいた。子どもの頃から、どこかで「釣り池なんて」と思っていた。自然のなかでこそ釣りだと、ちょっと気取った自然至上主義を抱えていたのだ。だが、実際にやってみればそう易々とは釣れない。スレた魚は手強く、スプーンの動きひとつでアタリが消える。この苦戦が、おもしろい。
数匹釣ったところで場所を変えた。歩きながら他の釣り人を観察する。平日の朝から竿を振る、愛すべき隣人たち。多くは一人で来ており、タックルボックスを覗くと(行儀は悪いが興味に負けた)、ルアーがびっしり整列している。釣りはどの道も奥深く、険しい。管理釣り場の道もまた、果てしないらしい。
フライエリアでは、同世代らしき男性が苦戦していた。じっと見ていたら上級者と勘違いされたのか、アドバイスを求められてしまった。いや、僕、ほとんどやったことなくて。そう笑っていたら、さきほどのスタッフが通りかかった。
「竿、貸してもらえますか?」
スタッフはフライロッドを受け取り、何度か前後に糸を振り、上流にすっとフライを置いた。次の瞬間、水面が盛り上がり、尾が見えた。竿を立て、もう一方の手で糸をリズミカルにたぐり寄せる。無駄がない。竿の所有者と僕は、思わず「おおお」と声を漏らした。
「ここ、フライが一番釣れると思いますよ」
次はフライセットを揃えるか、と一瞬考えたが、さすがに浮気が過ぎる。ルアーへの貞操を、かろうじて保った。
プールを一周すると、最後はえさ釣りのエリアだった。若い男女がリズミカルに魚を上げ、リリースせずネットに収めている。聞けば、一人数匹まで持ち帰れるという。ここの魚は近郊で養殖されたもので、関東一円に卸されているそうだ。鮮度に文句のつけようがない。
それなら、と欲が出た。管理釣り場の魚を食べる発想が無かった。これも別種の認知地図に縛られていただけだ。カップルの狙いは彩(いろどり)サーモンらしい。ニジマスの三倍ほどに育ち、刺身が最高だという。それ、食べてみたいな。
細いPEラインを巻いたリールに替え、スプーンのサイズを上げる。腕のせいかサイズのせいか、アタリは激減した。夕方近く、水面で魚が跳ね始める。活性が上がってきた。釣り歩いていると、また例のスタッフがやってきた。
「ポンプの流れ、見えますか。あの上流に投げて、すぐに引いてください。何回か流せば、釣れますから」
ここまで断言されると、信じるしかない。
遊園地は夕焼けのなかに溶け込んだ
日が落ちてきた。釣りをしていて気づくことがある。普段はビルや建物の陰に隠れて視界に入らないだけで、東京にも大きな夕焼けはある。遊園地のプールの奥が、いま赤く染まっている。暗い水面に、ポンプの吐き出す泡が白くかすかに光る。その泡の先にキャストを決め、そっと引いた。
くん、のあとに、これまでとは桁の違う引きが手元を襲った。ぐぐぐぐっと竿が深く曲がり、糸が出ていく。半日キャストを繰り返したナイロンなら切れていただろう(何度かプールの縁石を超えてキャストしてしまっていたのだ)。寄せてきた魚は、ぷっくりと太った、見るからに旨そうな彩サーモンだった。
「これは脂が乗ってますよ。持って帰って食べてください」
スタッフが手早く下処理をしてくれて、帰り際、袋ごと手渡してくれた。
家に戻り、彩サーモンを刺身にした。橙色の、艶やかな身。……うまい。
サーモンというと、つい安価な切り身を連想してしまう。だが、目の前のそれは、数時間前まで多摩湖の水を泳いでいた魚だ。脂は重くなく、旨味だけが舌に残る。スーパーでは決して買えないものを、自分で釣って食べている。それだけのことが、こんなにも豊かだとは。
脳は、放っておくと最短経路ばかり選ぼうとする。慣れた駅、慣れた道、慣れた釣り方、慣れた食べ方。効率的ではあるが、地図はだんだん貧しくなっていく。
たまには、脳を裏切る必要がある。脳に寄り道をさせるのだ。
いつもと反対方向の電車に乗る。いつもと違う釣りをする。いつもと違う場所で、いつもと違う魚を、いつもと違う食べ方で味わう。それだけで、認知の空白地帯にひとつ、湖が現れる。脂の乗った彩サーモンを噛みしめながら、僕は、まだ見ぬ釣りを想った。僕の反対側には、いくつの湖が眠っているのだろう。
※多摩湖駅前フィッシングエリアは冬季のみの営業です。夏場は魚になったつもりで泳いでください。