ニュージーランドの山中で
ブラウントラウトを探す旅
ヒッチハイクでトラウトがいる場所へ
ネルソンからは140キロほどヒッチハイクを予定していた。レンタカーでの移動が便利だが、釣りをしている間、山中に車を止めっぱなしにしておきたくはなかった。というのも、以前、この地で車上荒らしにあったからだ。ニュージーランドは比較的治安は良いのですっかり油断していた。
その時は9日間の釣りをし、無事下山したと思ったら、車のガラスが割られていた。パソコン、カメラ機材、財布、カードなど、ほぼ全てが盗まれていた。警察署から「スズキさん、このメッセージを見たらニュージーランド警察まで連絡ください」というメッセージが残されていた。
旅人の命に次に大切なものだというのに、パスポートも盗まれていた。途方に暮れた状態で警察に連絡をすると、生きていて良かったと喜んでくれた(不幸中の幸いで、パスポートは山中に捨てられていたそうだ)。しかし、街では「窓ガラスが割れた不審車両、捨てられていた日本人パスポート」が紐付けられていて、アジア人失踪というちょっとしたニュースになってしまっていた。その後、警察、レンタカー会社、ホテルの人々に大変お世話になった。嫌な事件に巻き込まれたけれど、たくさんの素敵な人に出会うことができた。僕はますますニュージーランドが好きになった。
あんな“事件”に比べたら、ヒッチハイクの苦労なんてたいしたことはない。ネルソンの街で燃料や食料を手に入れ、不要な荷物をホテルに預けた。身軽になった僕は山へ向かう道に立った。
アウトドアアクティビティに理解のあるニュージーランドではバッグパックを担いでいれば、ヒッチハイクは難しいことじゃない。ハイカーや旅人たちがヒッチハイクをしているのをよく見かける。今回も道路の端で親指を立てているとすぐに止まってくれた。最初はトラックに乗った親子だった。
「どっから来たんだい?」
「日本からです」
「そうかい。ニュージーランドによく来たね。で、どこにいくの?」
「ワンガペカ・トラックで釣りをする予定です。トラックの取り付きまで行きたいんですが。皆さんは?」
「それなら途中まで乗せていくよ。釣りかあ。いいねえ、俺たちはこれからハンティングなんだよ。仕事は何やってんの?」
「フォトグラファーなんです」
「そいつはすごいな!」
そんな会話をしながら、彼らの目的地と僕の行きたい分岐点まで乗せてもらう。ワンガペカ・トラックの取り付きまで3台の車を乗り継いで、4時間ほどでたどり着いた。アメリカでは山のルートや道を一般的に「トレイル」と呼び、イギリスでは「トレイル」や「フットパス」と呼んでいる。ニュージーランドでは「トラック」と呼ぶ。理由は知らない。
トラックの傍らにワンガペカ川(Wangapeka River)が流れている(途中で分岐するけれど)。途中までワンガペカ川を釣り歩き、山越えをしてカラミア川(Karamea River)へ行くことにしていた。カラミア川からウェストポートという街に抜ける。街に出ればネルソンにはヒッチハイクでもバスでも戻ることができる。
釣行の朝はのんびりとはじまる
目的地を選ぶ時は、まずNZ Topo(ニュージーランド トポ:地形図や地図を提供するサービス)で地形を想像する。そして、川の流れを思い浮かべる。じっと地図を見ていると川の曲がり方、草原のつきかた、水量などから「釣れるんじゃないかな」という予感がする。直感に頼っている部分は多いんだけど、そんなに外れたことはない。川を決めたら、行き方や必要な日数、滞在できる山小屋などのリサーチを始める。
今回の釣行は10日ほどの予定で、荷物は18キロほど(カメラも入っている)。その半分以上は食料だ。というのもニュージーランドの山にはDOC(環境保全省)が管理している小屋がたくさんある。だから、寝袋だけ持っていけば眠ることができる。ほとんどの山小屋の予約は不要。釣行中、山小屋で会ったのは2人だけだった。
水温が温まってから魚たちも活性化するので、朝はのんびりしている。コーヒーをいれて飲む。簡単な朝食の後、Kindleで読書をすることもあった。そして10時ぐらいから歩き始める。
すぐ側にワンガペカ川が見えるので、釣り場を探しながら歩く。途中で魚がいそうな場所を見つけると魚を探す。魚がいたら竿を出す。小屋に早く着けば周辺で釣りをした。「あの魚をやっぱり釣りたいな」。川で見かけて、釣れなかった魚を思い返し、来た道を戻って竿を出すこともあった。毎日そんな感じだった。
本当にニュージーランドのトラックは素晴らしい。自然は美しく、大きなブラウントラウトは釣れるし、宿泊施設も文句ない。唯一やっかいなのがサンドフライ(マオリ語でナム)の存在だった。数ミリ程度のハエの一種で、日本でいうブヨ(ブト)のような生き物だ。水辺や茂みに潜んでいて、肌を露出していると、すぐに噛みに来る。
動物の血が彼女(噛むのは産卵後のメスだけ)のエサなのだ。18世紀の探検家、ジェームズ・クックが「ここで最も厄介な生物は、非常に数が多い小さな黒いサンドフライだ。サンドフライが体に止まると腫れや耐え難い痒みを引き起こし、掻くのを我慢できず、最後には天然痘のような潰瘍になってしまう。これはもっとも迷惑な生物だ」と日記に残している。日記が書かれた1773年と違うのは、僕たちは虫除けスプレーがあることなんだけど、うっかりホテルに置いてきてしまっていた……。
文明の力を発揮することなく、体中を服で覆い、顔も隠し、トラックをまるで山賊のような格好で歩いていた。キャプテン・クックたちも同じようにしていたのかもしれない。
トレイルから見つけるブラウントラウトの魚影
サンドフライの痒さを忘れさせてくれるもの。それがトラウトたちだった。トレイルから川を眺めていると、大きなブラウントラウトがゆったりと泳いでいるのが見えることがある。そんな時は迷わず川へ下りて竿を振る。トラウトのサイズは50~60センチがアベレージ。日本でやっていても、こんなサイズのトラウトに出会うことは稀だ。それが多いときに1日10匹も釣れる。歩けば歩くほど、人里から離れる。つまり、山奥に行けば行くほど、スレていない魚たちと出会うことができる。だから、山奥に行くことが楽しみで仕方がなかった。
僕の釣りで一番大切なことは魚を見つけることだ。これがほぼ全てだと言って良い。だから、むやみに投げることはない。山を歩き、川で立ち止まり、目を凝らす。川の煌めきに目が慣れ、深い集中にたどり着くと、セミや水の音が聞こえなくなる。意識を川の流れに同化し、さらに自分をトラウトだと思い、水中に静かに潜む。どこを泳げば楽だろう、どこが効率よく餌が食べられるだろう、どこにいれば外敵から身を守れるだろう。僕は川の中を泳いでいく。この岩影は良い。窪みは流れが緩やかで、上流からのエサがゆっくりと流れ着く。そうやって、川を見ていると僕の意識とシンクロしてブラウントラウトが現れることがある。その魚を釣るのだ。
今回の釣行のために、セミを模したフライを作っていた。トラウトにとっても小さなエサをたくさん取ってエネルギーを消費するより、セミのような大きなエサの方が良いはずだ。大きなフライにはアグレッシブなトラウトがかかりやすい。僕は大きなフライで大きな魚を釣るのが好きだ。
風を読み、ラインが魚の上を飛ばぬよう、細心の注意を払ってキャストする。丁寧に、だけど大胆に。ラインが弧を描き、思った通りの場所にフライが着水する。力尽き、その生涯を終えたセミが流れていく。フライがブラウントラウトの視界に入る。その瞬間、音もなく水面が盛り上がる。集中していると、この一瞬がスローモーションのように見えることがある。
ゴボッ!
ここで焦ってはいけない。大型のトラウトになればなる程、捕食時に口をゆっくり閉じる。
「ワン、ツー、スリー」とゆっくりカウントしてからフッキングしろと、この地では言われている。僕の心臓はバクバクだ。 ワニのような大きな口が閉じ、フライが口に掛かった瞬間、異変を察知したブラウントラウトがズドーン!と走る。ラインのたるみがなくなると、強烈な引きを感じる。ラインが走り、竿がトラウトの力を吸収する。後は逃がさぬよう、恍惚感の中でその魚を釣る。
見つけた魚を「釣る」だから、「釣れた」はない。考えてみると、ハンティング要素が強い。いつか、ハンティングに行くと言っていた親子に出会ったら、フライフィッシングの楽しさを伝えてみようと思う。
<第2部~仲間と旅するニュージーランド~に続く>
本原稿は鈴木利岳さんのインタビューを元にFISHUP編集部が構成しました。
静岡県出身。明治大学情報コミュニケーション学科卒業と同時に、ニュージーランド航空と環境保全局のサポートにより世界各国の選抜メンバーと共に日本人代表として同国観光PRプロジェクトに従事。以後カメラマンとして独立。
アウトドアや旅を中心とする各種雑誌、企業PRなどを担当。2021年3月より映像制作開始。監督したドキュメンタリーが国際映画祭で上映されるなど幅広く活動中。写真映像クリエイター集団「SIDDAC STUDIO」代表。フライフィッシングブランド「Hog Johnson」co-founder。日本語・英語バイリンガル。