東京の川でウナギは釣れるのか!?
捕らぬウウナギの皮算用
「東京の川にもウナギはいますよ」。『鰻酒場 スミカ』(高田馬場)の大将が言った。
「釣ったら、焼いてもらえますか?」と尋ねると、快く引き受けてくれた。よし、東京の川でウナギを釣ってプロに焼いてもらおうか。それにしても、いったい東京のどこにウナギがいるのだろうか。
どこで釣るか。
東京を流れる川を大きく分けると、利根川水系、鶴見川水系、荒川水系、多摩川水系と分かれる。
Google Mapで「鰻屋 老舗」と検索すると、多くが荒川水系の隅田川周辺に位置する。東京の東側だ。江戸の興りが東だから当然なのだが、なんとなくこの辺りにいそうな気がする。東京の東側に狙いを絞ることにした。
次は地合いだ。
警戒心の強いウナギは濁った水を好む。ウナギ釣りは雨の数日後が良いという。さらに、雨後はエサが豊富になるそうだ。山間部で雨が降ると、土砂とともに餌が下流に運ばれてくる。だから、ウナギは雨後、辺りが暗くなってから活性化する。決戦は雨の2日後、夕暮れ時から夜の9時とした。なぜ9時なのか。真偽は不明だが、ウナギは夜が深くなると寝床に帰るという。わりと早寝のようだ。ウナギが眠る前、目の前にミミズを漂わせてみよう。
釣れないシーバスアングラーと共に
大学時代からの友人がシーバス釣りに没頭している。
その友人、島本直尚さん(以下、なおさん)は夜な夜な川に出向き、暗闇で竿を振る。しかし、ほとんど釣れない。
あまり釣れないので、先日東京湾でシーバスボートに乗ったそうだ。さすがにガイド付きの船に乗れば釣れるだろう。もし、これでダメだったら釣りをやめよう。不退転の決意で船に乗ると、70センチオーバーの見事なシーバスを釣り上げた。
その時の写真が送られてきたのだが、ぜんぜん嬉しそうじゃない。だが、そこに欲も迷いもない。全てを受け入れる、ひとりの男の達観を見た。そんな境地の人なら、どこに魚がいるかわからない酔狂な釣りにも付き合ってくれるかもしれない。しかし、餌釣りに食指がわくかはわからなかった。
連絡をすると「ウナギ、食いたいね!」と、すぐに返事が来た(彼が魚だったらすぐに釣られてしまうだろう)。ずいぶん乗り気だった。どうやら、達観しているわけではなかった。釣り人は皆、釣りたいのだ。
東部の川に絞ったとはいえ、フィールドはあまりに広い。
ウナギの実績のある場所を手分けして調べることにした。すると、旧江戸川に流れ込む新中川(利根川水系)や荒川の横を流れる中川でのウナギ情報が上がった。これらの川は治水用に昭和時代に整備・改修された川(調べると本が書けそうな情報量だった)のようだが、『えどがわエコセンター』の水辺環境調査報告書によると川底には泥が溜まり、全域においてミミズやゴカイなどの底生動物が豊富に住むエコシステムができているという。
新中川と中川の合流地点で竿を出すことにした。
夕方前、京成青砥駅で焼きそばパンを買って川へ向かう。電車から見た川は少し濁っていて、ウナギ好みの川色になっているように感じた。まあ、僕はウナギではないのであくまで感じだ。こうやって釣り人は勝手に魚の気持ちになる。この勘違いが楽しいし、同時に悲劇のはじまりでもある。
目当ての河岸はフェンスとシートで覆われていた。最近始まった環境整備の工事のようだ。のぞき込むとゴミが散らかっていたので竿を出す人もいるようだった(ゴミを放置するなんて、本当に呆れる)。
竿は出せそうにないので対岸へ渡り、新中川を歩く。土手から川岸へ降りると、川縁には腰より高い柵が設置されていた。これなら、小さな子どもでも川に落ちることはない(もちろん、おっさんもだ)。柵は安全面で申し分ない上に釣りの邪魔にもならない。整備担当者は釣り人なんじゃないだろうか。この人と一杯飲みたいもんだ。ただ、釣り座にしたコンクリート面に汚れがなく、人が入っている気配がなかった。
暑い1日だったが、川の上を風が吹き抜けていく。海からの風のお陰で都心より幾分涼しかった。軽快なエンジン音を響かせ、目の前を船が通る。東京にも川の営みがあるのだなと改めて感じた。座標をなおさんに送り、釣り支度をする。
ミミズと共に取る遅めのランチ
今回はミミズを餌にしたブッコミ釣りでウナギを狙う。2本の竿を出すことにした。流れにくい平らなオモリの持ち合わせがなかったので、三日月オモリ15号にウナギ針14号を付けた仕掛け。餌はミミズを房掛けする。房掛けはミミズの匂いが強くなるらしい。
振り出し竿の仕掛けを川の中ほどに投げ入れる。もう1本のシーバスロッドの仕掛けは近くにキャストした。焼きそばパンを食べながら、ミミズを使う釣りの前にこのパンの選択は想像力の欠如だと反省をした(どういうわけか、釣りの前には焼きそばパンを買ってしまう)。しばらく心を無にして川を眺めていると、なおさんがやってきた。
「釣れる気しかしないねえ」と笑顔の彼を見ると、手に大きなネットを持っている。この男、シーバスを釣るつもりなのか。
「ウナギだよ、今日」と念を押すと「ああ、うん。一応ね」と言う。一応ってなんだ。普段釣れてないのに用意周到な男だ。彼も竿を2本出し、合計4本の竿を出すことになった。竿先に付けた鈴が鳴るのをじっと待つ。
やはり、この川には何かいる
いったいなにがいるんだ
竿先に付けた鈴は鳴らない。やはり、ウナギはいないのだろうか。まったくアタリもなく時間だけが過ぎていく。
白く明るい曇空が、夕陽で赤く染まり始めた。それが合図のように川の様子も慌ただしくなりはじめた。あちこちでボラが跳ねる。時折、それよりも大きな魚が跳ね、派手な水音がする。川が色めき立っていた。なおさんが川を凝視する。その様子を僕がじっと見つめる。
「……君のスイッチも入ってるやないか」
彼はルアーを投げたいのだろう。ウナギよりシーバスが釣りたいんだろう。それが彼の性(さが)なのだろう。
性なら仕方がない。少し譲歩することにして3本をウナギ用とし、1本の竿でシーバスを狙うことになった。わずか1本ではあるが、戦力の4分の1を喪失したことになる。横でルアーを投げているなおさんは生き生きとしていた。さすが、やりこんでいるだけあって竿先が風を切り、いい音をさせている。戦力は落ちたが、集団として戦意が維持できればいい。
経験上、魚は無欲なときにかかることが多い。案の定、彼のウナギ竿にアタリがあった。暗い水面から魚を引き上げる時、長細い頭が見えたような気がした。「お、ウナギだ!」と、同時に叫んだがウグイだった。「う」しか合ってない。とはいえこれは吉兆。魚が動き始めた。
明らかに川に生命観がみなぎっている。地合いだ。
魚たちのエネルギーが川の中から外へ放出されている。釣りはこの魚の捕食エネルギーを利用する。魚の本能と人間の知性の戦いだ。と、格好良いことを言っているが、こっちはミミズを付けた針を投げ入れてぽけーっと待っているだけなのだが。
仕掛けを回収していると、エサが食われるようになってきた。魚が近づいてきている。
なおさんのルアーにも大きなアタリがあった(ますます彼はシーバス狙いになっていく)。彼が放置している竿を触ると、明らかな生命反応があった。「なんか付いているよ!」と声をかけたが「巻いといて」と、完全に心をシーバスに持って行かれている。ブルブルという振動が糸から手に伝わってきた。なんだろう、重い。ちょっと大きいぞ。ただならぬ様子を察したなおさんが近づいてくる。
「ウナギ、来たかな?!」
「たぶん、これウナギだな」
すぐ側まで来たなおさんに竿を渡そうとすると「いいよ、上げてよ」と言う。書き手のことを考えた配慮だろう。なんて、良い奴なんだ。そう思った瞬間、竿が軽くなった。
「あれ?」
リールを巻くとオモリだけがぶら下がっていた。ハリスの結びが甘くて抜けてしまっていた。
「なあ、ちゃんと結んどいてよね!」
「結んだんだけどなあ」
若いカップルなら微笑ましいが、おっさん同士が本命を釣り損ねた哀れな姿だった。
意気消沈したので、初日は21時前に終了。錦糸町でビールを飲んだ後、『楽天地スパ』の仮眠所へ。この世のものとは思えない壮絶ないびきを聞きながら、「はたしてウナギは釣れるのか」と考えた。いびきが気になって眠れそうにないと思っていたが、釣りとサウナの程よい疲れのおかげで、ぐっすり眠ることができた。
江戸時代から始まった釣り文化
ウナギが高級食材と言われて久しい。某老舗店の天然ウナギ鰻重の価格は1万円オーバーだった。天然ものは高嶺の花。では、養殖はというとこれまた高い。稚魚のシラスウナギは「白いダイヤ」と呼ばれ、高騰が続いている。近畿大学水産研究所が完全養殖の道を開いたとはいえ、まだ莫大なコストがかかる。
それにしても、人はなぜウナギに惹かれるのか。もちろん味だろう。ふくよかなウナギの身に甘辛いタレが絡ませ、それを炭火で焼いていく。これほどおいしい魚もなかなかない。ウナギは落語や絵にも描かれているので、昔から人気だったようだ。ウナギ釣りも人気だったのだろうか。そもそも、趣味としての釣りの歴史はそれほど古いものではないと聞く。
少しだけ、歴史の寄り道をしよう。
江戸中期、陸奥国弘前藩 黒石領三代当主の津軽政兕(つがる まさたけ)、通称・采女正(うねめのしょう)は暇を持て余していた。
仕事は江戸城の普請(土木・建築工事)。大変な仕事のように思えるが江戸城普請は幕府内で方針やスケジュールが決められており、弘前藩の仕事は予算を出すだけ。しかも、その予算は幕府からもらうものだった。乱暴に言うと、一生涯なんの仕事をしなくても暮らせる。
たまに暇だと嬉しいが、政兕は一生暇なのだ。これは辛い。実際、暇な武士は多かったようで武道や芸術、勉学などに時間を費やす者たちが多くいた。だが、真面目な人間だけではない。金と暇を持て余し、時に快楽に溺れる者もいた(吉原が繁栄を極めたのも庶民の力だけだったわけではないだろう)。
釣りは策、戦略、武具(釣り具)を用い、じっと耐え忍び、本懐を遂げる。これ武士の修練なりなどと勝手な解釈で武道と通じると考えられ「釣道」は武士の嗜みとして、広く親しまれたという。
この政兕も釣りに没頭した。金と時間はある。そのうえ、大変几帳面な性格だったようで、釣りに関する書物を書き上げた(よほど時間があったのだろう)。これが享保8年(1723年)に書かれた日本で最初の釣りの指南書である『何羨録』(かせんろく)だ。
彼は歴史の表舞台とほぼ接点がない。『忠臣蔵』で討たれた吉良上野介(きら こうずけのすけ)の次女を妻としていため、真っ先に現場に駆けつけた記録が残っている。特筆すべきはこのエピソードくらいで、あとは何度も屋敷を火事で失っているくらいだろうか(5回も!)。
『何羨録』は三冊構成で釣りのポイント、道具、天候などを公開した(当時、これらは秘伝とされていたようだ)。『何羨録』にウナギの釣り具が登場する。専門道具が登場するほどだから、当時からウナギはおいしく人気の魚だったに違いない。
さて、時を令和時代に戻そう。
「今日やる?」と、なおさんから連絡が来た。数日前、まとまった雨が降っていた。この日は中潮で潮位も変動しそうだ。中川の平和橋付近で竿を出すことにした。直線の多い中川だが、この辺りは流れが蛇行しており、彼の近所の釣具店情報によると両岸共に実績のあるポイントだそう。18時過ぎに合流した。
合流地点に向かって川沿いを歩いていると
「釣りかい?」と散歩中の初老の男性に話しかけられた。
「ウナギなんですけど、最近はどうですかね?」と尋ねると「土日は竿出している人多いね。でも、鉛筆くらい細いんだよ。川が痩せてるのかなあ」と、人差し指と親指で小さな穴を作った。
細いのか。でも、いるんだな、ここには。わずかな希望を感じる言葉だった。
少し歩くと、希望まみれの男と合流した。
「釣れる気しかしないよ」と、なおさんは言う。
「確かに」
前もそんなこと言っていたと思いながら曖昧な返事をした。前回、彼はウグイを2匹釣り上げ、シーバスをかけ損なっている。川から生命を感じているため希望に満ちていた。心の底から釣れる気がするのだろう。僕はと言うと、先ほどのおじさんの魔法が解け、川から生命を全く感じなくなっていた。
陽が沈み、辺りがほの暗くなってきた頃、左手からバシャバシャと派手な水音がした。なおさんの竿が曲がる。ルアーにシーバスが食らいついたのだ。
……なんであの人はシーバスを釣っているんだ。
シーバスの後、僕にもウグイが釣れた。どうやら、今夜の魚は食い気があるらしい。なんだかやる気が出てきた。先日、重い引きを感じたのは20時過ぎだった。今夜は21時を越えても竿を出してみようか。そんなことを考えながら対岸を見回すと、竿の先に付けられた蛍光ライトが数個見えた。
「対岸(うなぎだね)」
「うん(うなぎだね)」
付き合いが長いと、会話が老夫婦のようになってくる。しばらくすると対岸の蛍光ライトが揺れ、ヘッドライトも上下左右を照らす。遠くてよくわからなかったが、喜び方から察するにウナギが釣れたようだった。
ついに対岸で釣れたか。近づいてきている。確実にうなぎが近寄ってきている。完全にシーバスモードになっている男にはわかるまい。
このうなぎの気配、俺は必ず釣る。
21時を越えると対岸の釣り人たちも帰ってしまった。地合いも終わってしまったのだろうか。エサも少なくなってきた。仕掛けを回収しようと糸を巻くと、クンクンと生体反応があった。のったりと重い。
……ついに来たか。
意外と引きが強い。ドラグを締めながら、丁寧にリールを巻いていく。抵抗が弱まったので、そのまま引っこ抜いた。
長細い!
ウナギだ!
大きなうなぎではなかったが、鉛筆サイズではない。食べることができるサイズだろう。しかし、喜んでいる場合ではない。今こそ地合いと、撮影もそこそこに粘ったが、我々の仕掛けにうなぎがかかることはなかった。まあ、2回の挑戦でウナギが釣れたら上出来だ。腹の黄色い正真正銘、天然もののウナギが釣れた。
バッカンに少量の水を入れて家にウナギを持ち帰る。家で水を入れ替え、泥吐きをさせる。「食べる魚には名前を付けてはいけない」と、誰かから聞いたことを思い出した。
よく見ると、うなぎってつぶらな瞳が可愛いな。
うなちゃん……。
いやダメだ、名付けては。情が移ってしまう。
本来は数日程度、泥吐きをするそうだが、暑さでウナギが弱るのが心配だった。それに情が移る心配もあった。翌日、高田馬場の『スミカ』に持ち込んだ。大将の木村さんが「え、釣れたの? おお、状態もいいね。捌いちゃおう」と、職人さんの昼休憩を使って捌いてくれることになった。
「うん、いいね。腹も黄色いな」と、ウナギを掴み、トンと目打ちを行った。暴れるウナギをしっかりと押さえ、背中に包丁を入れる。ザッザッザッと身と骨を切る音がする。
「いいな。身も詰まっている」と職人さんがつぶやく。自分が褒められたようで嬉しくなった。カウンターを予約して、夜に再訪する。
さらば、うなちゃん。
指定の時間に『スミカ』を訪れると、木村さんが肝やひれ、かぶと焼きを出してくれた。そして、待望の蒲焼き。これだ。この為に2日間、川に通ったのだ。夏場で肥えていないとこともあるだろうが、脂っぽさがなく、その分身のうま味をしっかりと感じることができた。
これはうまいぞ。思い入れも加味されているだろうが、人生一うまいウナギだ。
天然ウナギが大きくなり、おいしいシーズンは秋から初冬にかけてという。
「その頃、大きいの釣って持って来てよ。その時は僕も食べさせてもらうよ」と、木村さんは笑う。
東京の川でウナギが釣れることはわかった。ウナギ肥ゆる晩秋に釣りに行こう。もっと大きく、旨いウナギを求めて夜の東京の川に行こう。アーバン・ナイト・ウナギ・フィッシング(UNUF)。ああ、またひとつ楽しい釣りを知ってしまった。
【注意】日本の多くの川でウナギ釣りが可能です。今回の釣り場は不要でしたが、場所によっては遊漁券が必要なことがあります。Googleなどで「河川名 遊漁券」と検索すれば、漁協のホームページがヒットします。ご確認の上、釣りをお楽しみください。
東京の川を知るインフォメーション
江東区中川船番所資料館
江戸時代に設置されていた中川船番所を再現し、水運や江東区の歴史に関する資料を収集、保存及び展示している。実際に船の取り締まりを行った中川番所跡の北側に建てられている。館内では番所の一部を再現しており当時の雰囲気を知ることができる。江戸からの水運の歴史、郷土の歴史文化紹介展示室、江戸和竿の展示があり、釣りや歴史好きなら一度は訪れたい場所。
東京水辺ライン
隅田川、荒川、臨海部を運航する水上バス。両国リバーセンターを起点に、ウォーターズ竹芝、浅草、お台場海浜公園、葛西臨海公園など、東京の水辺を船上から楽しむことができる。東京の河川での釣り場のロケハンにもピッタリ。水辺の視点で東京を見てみよう。
公式サイト https://www.tokyo-park.or.jp/water/waterbus/
今回お世話になったお店
鰻酒場 スミカ(高田馬場)
落ち着いた大人の空間でウナギを味わえる高田馬場の名店。古民家風の二階建ての店内は、カウンター、テーブル、掘りごたつがあり、様々なシチュエーションでウナギ料理を楽しめる。
公式サイト https://www.sumika-dinning.com/
※今回はご厚意で鰻を持ち込んで調理していただきました。突然のウナギの持ち込みはご遠慮ください。