暴れサーフに立ち尽くす
この海でヒラメは釣れるのか
ダメだこりゃ。荒れた海に全員沈黙
翌朝早朝に賭けようと言いつつ深酒
海は荒れていた。堤防から眼下の浜を見下ろすと、暴力的な波が押し寄せている。夕まずめを狙って竿を持ってきてはいたが、砂浜に立とうという気にすらならなかった。「明日の朝もヤバいね」と言葉を口にしたが、強い風に言葉が飛ばされてしまった。
数時間前、静岡駅でFISHUP MAGAZINEのアートディレクター伊藤正裕さんの車に乗り込んだときは良い天気だった。そろそろ冬が来るというのにTシャツでも過ごせるほどの陽気だった。静岡駅から60キロほど離れた御前崎市に向かい、遠州灘サーフでヒラメを釣ろうというのが僕らの魂胆だった。遠州灘とは静岡県遠州の御前崎から愛知県東三河の伊良湖岬までの約110km。日本屈指のヒラメのポイントだ。
この数ヶ月、伊藤さんと安倍川河口付近のサーフで幾度かショアジギングをしていたけれど、釣果はさっぱりだった。東京に住む僕が伊藤さんの住む静岡に行くのは限られている。だからこそ、良いタイミングを狙っていた。しかし、地合も良く、潮の流れも良く、考える限り完璧なタイミングで竿を出してもまるで釣れていなかった。そんな夜は自分たちの腕を棚に上げて「世界から魚はいなくなったのかも」と、居酒屋で愚痴っていた。
東名高速道路を降り、県道244号線を南下して新野川を越える。「もうすぐ、海が見えてきますよ」と、伊藤さんが言う。心なしかその声は弾んでいた。伊藤さんはデザイナーなのだが、都会にいるような線の細いタイプではない。どっしりとした体格でおおよそ繊細なデザインを生業にするようには見えない。どちらかというと、工務店の社長のような風体だ。僕も坊主頭にサングラスをしているので、外から見ると、現場帰りの職人たち見えているだろう。車は25年以上前のシルバーのハイエースで、あちこちにガタが来ている。ただ、この車の素晴らしいのは釣りやキャンプ道具で溢れていることだった(事故に遭えば、僕らの体はルアーの針まみれになるんだろう)。「自然災害が来ても、魚を捕ればしばらく暮らせると思いますよ」と伊藤さんは笑う。「釣れてないけどな」と言いかけてやめた。さすがに釣りに行く前に縁起が悪い。
海が見えるというアナウンスに僕は助手席から海を探す。11時の方向に青い海が見えた。と、同時に白波が見える。「……波が立っているね」と僕が言うと、「そうっすね、荒れてますね」と言ったきり伊藤さんは黙り込んだ。この距離から波が見えるということは、釣りにすらならないということだ。
ヒラメを釣らせる宿で
翌朝へ思いを馳せる
海に行かず、まずは宿に向かうことにした。宿泊するThe Green Room INN は「ヒラメを釣らせる宿」として釣り好きの中で有名なのだそうだ。オーナーはサーフィンや釣りを愛する田中善通さん。通り名はピーマンさんで、YouTubeの釣り番組でよく登場している(YouTube界の釣り人はニックネームで呼ばれる人が多い)。宿に入るとコーヒーカップを手にした男性と目が合った。挨拶をすると「ちょうど、コーヒーが入ったところです」とマグカップを渡してくれた。てっきり、宿の人だと思っていると「六畳一間の狼」の名前で活躍するYouTuberのSUUさんだった。本当は自分が飲むはずだったコーヒーを渡してくれたんだろう。なんて良い人なんだ。YouTubeチャンネルの相方であるハヤマさんも宿泊することになっていた。宿泊者全員釣り人。なんて、素敵な宿なんだ。
伊藤さん、カメラマンの鈴木トシさん、僕の3人で夕まずめ、明日の朝まずめにサーフで竿を出そうと「なんとなく」考えていた。というのも、この時点で『FISH UP MAGAZINE』の発行は決まっておらず、プライベートでの釣行だった。六畳の2人、ピーマンさんには『FISH UP MAGAZINE』の話しも「なんとなく」伝わっているだけだった。とりあえず、海を見に行くか。伊藤さんと目配せをして、3人で海に向かった。これが冒頭に触れた荒れた海だ。30秒ほど無言で海を眺め、僕たちは宿に帰ることにした。スーパーマーケットで鍋用に野菜を買い、市場で刺身を買った。ヒラメの刺身を手に取ったが、明日釣るからいいかと考えて、マグロとイカの刺身にした。釣れない釣り人は縁起を担ぐのだ。
その夜は宿に泊まっている全員で宴会になった。コロナは収まりつつあったけれど、世間では自粛のムードが少なからずあった。こんなに楽しい夜は久しぶりだった。皆でジョン・ルーリーのふざけた釣り番組『フィッシング・ウィズ・ジョン』を見たり、とにかくでっかいマッチョが力ずくで釣る動画を見たりして大いに笑い、酒を飲んだ。いつ寝たのか覚えてはいない。朝、目が覚めるとまたSUUさんがコーヒーをいれてくれていた。
窓の外の木を見ると依然強い風が吹いているようだった。ピーマンさんは「風裏に行けば大丈夫ですよ」と眠そうな目でコーヒーを飲んでいた。釣りの準備をしていると見慣れない女性がいた。SUUさんたちが御前崎で竿を出すと聞きつけたKANAさんは、夜勤明けにもかかわらず車を飛ばして駆けつけたという。せっかく、朝早く着いたのにコーヒーを飲む僕たちに呆れ気味だ。そりゃそうだ。せっかくやって来たのに一向にサーフに向かわないのだから。
車数台に分かれ、海へと向かった。前を行くピーマンさんの軽トラ車が宿から10分ほどの場所で止まった。全員が申し合わせたように車からおりて海を見る。海に答えが書いているわけではないけれど、海岸堤防の先に見える様子にみんな納得したようだった。少なくとも白波は立っていない。この時点で楽観的な我ら釣り人は全員が「釣れる」イメージを抱いたはずだ。用意ができたところで、堤防を越えて砂浜に下りた。昨日の様子とうって変わって静かな海だった。宿を出たときに風があったのに。すごいなピーマンさん。地形を知るというのはこういうことなんだろう。
魚が出そうなその瞬間、なぜか感じる
海が騒ぎ、それを釣り人がキャッチする
この日は釣り歩くランガン(RUNRUN&GUNGUN)スタイル。海に見とれていると、皆いっせいに竿を出しキャスティングを始めた。さっきまで、あんなにのんびりしていたのに、サーフに下りた瞬間に皆一気にスイッチが入ったのだ。一方で僕は一投目にライントラブルがあって、出だしから後れを取ってしまった。これでは皆が叩いた所を釣り歩くことになる。ほとんどがジグヘッドワームを投げていたので、違う層を攻めようとミノーを投げることにした。幾度かキャスティングしていると、先を行くSUUさんがなにか魚を上げた。遠くの歓声を聞きながら「ああ、魚いるんだな」と安堵の気持ちになった。見に行くと良型のマゴチだった。
「魚がいる」。安心した気分で僕は海に向かってプラグをキャストする。不思議なことにまったく魚の気配を感じない時がある。海の中を見たわけでもないのに、どういうわけかそれを感じる。逆も然りだ。海のざわつきを肌で感じることがある。小魚が飛び跳ね、鳥が朝食を狙い、ルアーになにかが当たる。という、目に見える動きや振動だけでなく、ざわざわとした海の騒ぎをキャッチする。その感覚が肌や毛穴や嗅覚から感じ取っているのかはわからない。ただ、感じる。釣りをする人は皆覚えがある感覚だろう。「こりゃ、釣れるな」。そう思いながらプラグを遠浅の海に投げる。黒に近い深い青色だった海はすっかり朝陽に焼けている。地球で一番美しい時間帯だ。
波がみるみる赤く染まり、刻一刻と海の表情が変わる。さあ、今日も一日が始まる。魚だって腹を空かせていることだろう。大切な時間帯だ。ていねいにキャスティングしていく。ルアーが着水し、勢いを失ったラインが海に落ちる。糸のたるみを取り、プラグを動かしていく。
底にいるヒラメは上を泳ぐ小魚を食い上げる。プラグで底を取り、糸を巻き、止める。軽く竿をしゃくってプラグを浮かせ、また落とす。ルアーのリップが海水を掴んで引いている感覚が小気味良い。役者(ルアー)を監督(釣り師)が演出していく。弱った小魚を演出し、ヒラメに口を使わせるのだ。
魚を出すと、釣り人たちの輪が生まれる
そして、それぞれが散らばっていく
この動きを繰り返していると、フォール中にひったくられるような感覚があった。反射的に竿を立てると、ずんと重みを感じた。しっかりフッキングしたようだ。ルアーが左右に振られ、竿がしなり、リールのギアが響く。しばらくすると観念した魚の引く力が弱まる。波を利用して引き出すと。まあまあの型のマゴチだった。すぐにSUUさんたちがやって来て、ルアーやかかった層を共有する。仲間たちとの釣りはこのインタビューがおもしろい。その日、その時の魚の好みをシェアし、それぞれが戦略を練る。同じ層やルアータイプをトレースしても良いし、逆張りしてもいい。このマゴチも先行する仲間たちの層やルアーを逆張りしたから釣れたように思う。
輪が生まれ、輪が解ける。これを繰り返していくうちに、ランガンもなし崩し的になり、みなサーフに散らばって定点で釣り始めた。遠くでピーマンさんたちの歓声が上がる。なにかを釣り上げたようだった(後で聞くと目の前で大きなヒラメを逃した時の雄叫びだった)。海が勢いついてきた。少し歩き、誰も入っていない場所に伊藤さんと入ることにした。
「手前に波が見えるでしょう。その下の砂浜はえぐれています。その底にヒラメがいてエサを狙っています」。伊藤さんがヒラメの気持ちを代弁する。人は釣りをしすぎるとヒラメの気持ちまでわかってしまうのだ。たしかに、この日は遠投するより目の前に魚が集まっているようだった。飛距離はいらないので小さめのジグヘッドワームを幾投かしていると、ぬたーっと重くなった。ぬれ雑巾がかかったような感覚だった。一瞬、海藻を掛けたかと思ったけれど、くんくんと引く生命感がある。なんだろうと上げてみると、ちいさなヒラメ。いや、ヒラメとは呼べないソゲサイズのものだった。しばらくして、伊藤さんが40センチほどのヒラメを釣り上げた。おお、ついに2人揃って静岡のサーフで魚を出した。伊藤さんの表情は昨日の夕方と違ってにこやかだった。
日は高くなり、暖かい空気が全員を包み込む。普段なら目覚める頃だ。一日が始まる時間だったが、すでに一日が終わったような気分だった。無論、充実した心地よい疲れだ。たぶん、僕らはこの疲労感のために釣りをしているのだ。